介護報酬の仕組み ― なぜ「悪化」が得になるのか
介護保険制度では、利用者は要支援1・2、要介護1〜5の7段階に区分される。要介護度が高いほど利用できるサービスの量(区分支給限度基準額)が増え、事業所が受け取る報酬も増える。
| 区分 | 区分支給限度基準額(月額) | 利用者自己負担(1割の場合) |
|---|---|---|
| 要支援1 | 約50,320円 | 約5,032円 |
| 要支援2 | 約105,310円 | 約10,531円 |
| 要介護1 | 約167,650円 | 約16,765円 |
| 要介護2 | 約197,050円 | 約19,705円 |
| 要介護3 | 約270,480円 | 約27,048円 |
| 要介護4 | 約309,380円 | 約30,938円 |
| 要介護5 | 約362,170円 | 約36,217円 |
※区分支給限度基準額は令和6年4月施行時点。改定により変更される場合があります。
この仕組み自体は合理的だ。重度の方にはより多くのサービスが必要であり、それに見合う報酬が設定されている。
問題は、利用者が元気になった場合に何が起きるかだ。
リハビリや適切なケアによって利用者の身体機能が改善し、要介護3から要介護2に区分が変更されたとする。利用者にとっては喜ばしいことだ。しかし事業所にとっては、その利用者に提供できるサービスの量が減り、報酬も減少する。
つまり、良いケアをして利用者を元気にするほど、事業所の収益が下がる。これが介護報酬に組み込まれた逆インセンティブだ。
森山氏はさらに、この構造を個人の問題ではなく制度の問題として捉えている。「やっている人たちが悪いのかと言うと、必ずしもそうではない。元気にすることに対してほとんどインセンティブが働いておらず、むしろ悪化させることの方がインセンティブが大きいという制度自体に課題がある」と指摘している。
区分変更の実態 ― 現場で何が起きているか
逆インセンティブが存在する以上、それを利用する動きも生まれる。要介護認定の更新時や区分変更申請時に、実際より重度に見せる行為が一部で行われている。
森山氏はPIVOTのインタビューで、「審査の日に多少ボケたふりをしてもらうとか、そういったことで区分が変更されるということは実際問題としてある。これを見つけるのは正直なかなかハードルが高い」と述べている。
認定調査は原則として調査員が利用者の自宅や施設を訪問して行う。調査日の状態が判定に大きく影響するため、「その日だけ」普段と異なる状態を演出することが可能な構造になっている。
要介護認定は利用者の「普段の状態」を正確に反映すべきものです。認定調査時に事業所から「こう答えてください」といった指示があった場合、それは適切ではありません。普段の状態を正直に伝えることが、適切なケアプランの作成につながります。
ケアマネの囲い込み ― 競争が生まれない構造
逆インセンティブの問題は、ケアマネジャーの構造的な問題と密接に絡み合っている。
ケアマネは無料
介護保険サービスの利用者負担は原則1割(2027年改正で2割化の方向)だが、ケアマネジャーによるケアプラン作成は利用者負担ゼロで提供されている。全額が介護保険から給付される。
無料であること自体は利用者にとって良いことに見える。しかし、利用者がお金を払わないということは、利用者がケアマネの質を評価する動機が生まれにくいということでもある。良いケアマネも悪いケアマネも、利用者にとっては「無料」だ。
囲い込みの構造
さらに深刻なのが「囲い込み」問題だ。デイサービスや訪問介護を提供する事業者がケアマネジャーを自社で雇用し、自社のサービスに利用者を流す。森山氏はPIVOTのインタビューで「全体の半分近くで囲い込みが起こっている」と述べている(業界関係者の実感値であり、公的な統計データではない点に留意が必要だ)。
本来、ケアマネジャーは利用者の立場に立って最適なサービスを選定する「介護のコンサルタント」であるべきだ。しかし、自社の事業所にとって収益の大きいサービスを優先する構造が常態化すれば、利用者にとって最適なケアプランではなく、事業者にとって最適なケアプランが作成されることになる。
省庁間の対立 ― 厚労省 vs 経産省・財務省
この構造問題に対し、省庁間で見解が分かれている。
| 厚生労働省 | 経済産業省・財務省 | |
|---|---|---|
| ケアマネの方向性 | 人数を増やすべき。資格要件の緩和 | 影響範囲を狭めるべき。市場競争を促進 |
| ロジック | ケアマネ不足が利用者のアクセスを阻害 | ケアマネが競争原理を阻害している |
| ケアプランの有料化 | 慎重姿勢 | 有料化で質の競争を生むべき |
森山氏は経産省・財務省寄りの立場を取っている。「ケアマネジャーが実質的にこの産業の競争原理を阻害している。頑張っているところにしっかりと利用を促し、頑張っていないところには促さないということがケアマネの本来的な役割だが、実際にはなかなかそうなっていない」という見解だ。
2027年の介護保険改正ではケアプランの有料化が議論されている。有料化が実現すれば、利用者が「お金を払う以上、良いケアマネを選びたい」という動機が生まれ、質の競争が始まる可能性がある。
改善インセンティブの先行事例 ― 大阪府の取り組み
逆インセンティブの解消に向けた動きは、地方自治体から始まっている。
大阪府では、利用者の要介護度を改善(引き下げ)した事業所に対する報酬上のインセンティブの導入検討が進んでいる。森山氏も「大阪府では元気になっていく、要介護度が下がっていくことに対してのインセンティブの検討がかなり進んできている」と述べている。
具体的には、一定期間内に利用者の要介護度が改善された場合に、事業所に対して加算(追加報酬)を付与する仕組みだ。これにより、「元気にすると損をする」という構造を「元気にすると報酬が上がる」に反転させることができる。
2024年の介護報酬改定では、ADL(日常生活動作)の維持・改善に取り組むデイサービスへの「ADL維持等加算」が拡充された。ただし加算額は限定的であり、要介護度の低下による基本報酬の減収を補うほどではない。逆インセンティブの解消には、基本報酬の構造自体を見直す必要がある。
ケアマネ・家族が知っておくべきこと
ケアマネジャーの方へ
- 囲い込みの構造を自覚する ― 自社サービスへの誘導が慣行化している環境にいる場合、利用者本位のケアプラン作成が阻害されていないか点検する
- 改善実績を可視化する ― 利用者のADL維持・改善の実績を記録し、事業所選定の判断材料にする。改善に取り組む事業所と、そうでない事業所の差は現場のケアマネが最もよく知っている
- 2027年改正の有料化議論を注視する ― ケアプラン有料化が実現すれば、ケアマネの質が利用者に直接評価される時代が来る。自身の専門性を高めておくことが、有料化後の競争で生き残る条件になる
ご家族の方へ
- 要介護度が「上がる」ことを無条件に受け入れない ― 認定更新時に要介護度が上がった場合、「本当に身体機能が低下したのか」を確認する。事業所の都合で上がっている可能性もゼロではない
- ケアマネに「なぜこの事業所なのか」を聞く ― ケアプランに組み込まれたサービスについて、なぜその事業所を選んだのか理由を確認する。「近いから」「空きがあるから」以外の理由が説明できるケアマネは信頼できる
- 区分変更申請は家族からもできる ― 親の状態が改善していると感じたら、要介護度の引き下げを申請することも可能。要介護度が下がれば自己負担も減る
森山氏は、介護人材が直近2〜3年で初めて減少に転じたことを指摘している。従事者の高齢化(事業所のほとんどが50歳以上)と新卒参入の減少が重なり、一度減り始めた人材を戻すのは「相当難しい逆波」だという。逆インセンティブの解消と質の向上は、人材確保の観点からも急務だ。
まとめ
介護保険制度には、利用者を元気にするほど事業所の報酬が下がるという逆インセンティブが組み込まれている。この構造が25年間にわたり業界の質の向上を阻害してきた。
ケアマネの無料提供と囲い込みの慣行が競争原理の機能を妨げ、要介護度の引き上げが経済的に合理的な行動になってしまっている。大阪府の改善インセンティブや国のADL維持等加算は改善の第一歩だが、基本報酬の構造に手を入れなければ根本的な解決にはならない。
利用者と家族にとって最も重要なのは、この構造を知った上で「なぜこの要介護度なのか」「なぜこの事業所なのか」を問う視点を持つことだ。
関連記事
森山穂高氏(Eフルホールディングス代表取締役)インタビュー「介護現場のリアル、そして目指す先は何か」(PIVOT公式YouTube, 2026年)。区分支給限度基準額は厚生労働省「介護報酬の算定構造」(令和6年4月施行)に基づく。ADL維持等加算は「令和6年度介護報酬改定」に基づく。ケアマネジャーの事業所数(約3万)は厚生労働省「介護サービス施設・事業所調査」による。